大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟家庭裁判所 昭和51年(少)122号 決定 1976年4月30日

少年 D・S(・昭三〇・五・一四生)

主文

少年を特別少年院に送致する。

特別少年院に収容する期間は昭和五二年四月二九日までとする。

理由

(非行事実)-犯罪者予防更生法四二条の通告による。

少年は、昭和五〇年三月二七日当裁判所において、暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・兇器準備集合・業務上過失傷害・道路交通法違反保護事件により、新潟保護観察所の保護観察に付され、以来保護観察中の者であるが、その後も依然その素行修まらず

第一  昭和五一年二月二三日午後九時三〇分ころ、ABと共謀のうえ、上越市○○○○○○○○○○×××番地の××○○○港○○埠頭において、トルエンを吸引し

第二  同年三月一八日午後八時ころから午後一〇時ころまでの間、CD子、E子と共謀のうえ、上越市○○○○○×××ホテル「○○」客室において、ラッカーシンナーを吸引し、

第三  同月二〇日午後八時ころ、C、F子、Gと共謀のうえ、上越市○○×丁目×番××号喫茶店「○○○○○」前路上に駐車中の普通乗用自動車内において、トルエンを吸引し、

第四  (1) 昭和五〇年五月一九日ころ、故なく家出し、同年六月一二日恐喝容疑により、長野警察署に逮捕されるまでの間、その所在を不明にし、

(2) 同年七月三一日ころ、故なく家出し、同年八月一四日ころ、兄に連れ戻されるまでの間、その所在を不明にし、

(3) 同年八月二五日ころ、故なく家出し、同月三〇日ころ、トルエンを吸収して○○警察署に補導されるまでの間、その所在を不明にし、

(4) 同年一〇月一九日ころ、故なく家出し、同月二七日ころ、兄に連れ戻されるまでの間、その所在を不明にし、

(5) 同年一一月二三日ころ、故なく家出し、同年一二月三日ころまでの間、その所在を不明にし、

(6) 昭和五一年一月二五日ころ、故なく家出し、同年二月二〇日ころ、母と兄に連れ戻されるまでの間、その所在を不明にし、

(7) 同年三月八日ころ、故なく家出し、同月二七日ころまでの間、その所在を不明にし

て保護観察から離脱し、もつて一定の住居に居住せず

第五  保護観察開始後間もなくのころから、昭和五一年三月二〇日ころまでの間、元サーキットグループ「○○○」のグループ員でシンナー遊びの常習者とみられるA、H、I、J、C、K、B、L、M、Nら素行不良のものと交際した

ものであつて、このまま放置するにおいては将来罪を犯すおそれがあるものである。

(適用法令)

少年法三条一項三号

(処遇理由)

一  少年は二人兄弟の弟として生まれ、小中学校は順調に進んだが、○○工業高校二年ころより学習意欲を失い、次第に遊びを覚え、生来の自己顕示性が暴力的非行としてあらわれるようになり、上記高校卒業の日に遊び仲間と他高校生に対し集団で暴行傷害を加えるという事件を起こし、昭和四九年八月九日当裁判所で傷害・暴力行為等処罰ニ関スル法律違反保護事件として審判を受け不処分となつた。少年は、その後、○○○○○工場の工員として就職したが長続きせず、その間いわゆる暴走族グループを結成して遊興しているうち、他の暴走族グループとの乱闘事件を起こし、昭和五〇年三月二七日当裁判所で暴力行為等処罰ニ関スル法律違反・兇器準備集合・業務上過失傷害・道路交通法違反保護事件として審判を受け、新潟保護観察所の保護観察に付する旨の決定を受けた。

二  しかるに少年は、上記決定後も前記非行事実記載のとおりの生活を続けていたものであり、上記保護観察期間中の昭和五〇年九月一九日長野地方裁判所で恐喝罪で懲役一年執行猶予二年の判決を受けている。保護観察期間中は、父母兄はもとより保護観察官、保護司によるたび重なる指導忠告があつたにも拘わらず、改善の意欲は全くみられなかつた。少年の虞犯性・非行性は、本人の意思薄弱、自己顕示性に加えて、シンナー嗜癖、非行性のある仲間との交遊等によりますます深化する傾向にあるように窺える。

上記のような事実を総合すれば、現在において、このまま放置すれば将来罪を犯すおそれがあるものと認めざるを得ない。

三  以上の諸点を勘案すると、この際少年を施設に収容し、交友関係から遠ざけ、規律ある生活環境のもとに上記シンナー嗜癖の除去をはかるとともに、客観的に自己の過去の行動に対する内省を深め、健全な生活目標を持たせ、勤労意欲を涵養する必要があると認められる。しかして、その施設収容の期間について考えるに非行事実、非行性の程度等諸汎の事情から昭和五二年四月二九日までとするのが相当と認める。よつて少年法二四条一項三号・犯罪者予防更生法四二条により主文のとおり決定する。

(裁判官 村上光鵄)

参考 恐喝に対する判決(長野地 昭五〇(わ)六九号・同七七号 昭五〇・九・一九判決)

主文

被告人両名をそれぞれ懲役一年に処する。

この裁判確定の日から二年間、それぞれ右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人D・Sの負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

第一被告人O、同D・Sは、少年P、同Qと共謀のうえ、既に右P、Qにおいて○沢○一(当時一七年)に対し、同人の服装や態度が悪いと因縁をつけ、「Oさんがおこつているぞ。」、「Oさんとたいまんをはるか。」等と脅しこれによつて同人が畏怖している状態を利用して同人から金員を喝取しようと企て、昭和五〇年五月二九日午後四時三〇分頃、新潟県上越市○○×丁目×番×号○○鉄道駅前停留所において同人に対し、被告人Oにおいて、「あす一万円を都合しろよ。同じ時間にここへ来いよ。」等と申し向け、もし右要求に応じなければどのような危害を加えるかもしれない態度を示して畏怖させ、よつて翌三〇日午後四時三〇分頃、同市○○×丁目×番×号○○土産販売○○○店前道路において、同人から現金一万円の交付を受けて、これを喝取し

第二被告人Oは、同日午後五時頃、同市○○町×丁目××番×号社会教育会館付近道路において、右○沢○一が前記の如く畏怖しているのに乗じて更に、同人の履いている靴を喝取しようと企て、同人に対し「お前いい靴履いているな。その靴置いていけや。」等と申し向け、もし右要求に応じなければどのような危害を加えるかもしれない態度を示して畏怖させ、よつて翌三一日午後一時三〇分頃、同市○町×丁目×番×号国鉄○○駅前付近道路において、同人から革靴一足(時価約七千円相当)の交付を受けて、これを喝取し

第三被告人O、同D・Sは共謀のうえ、昭和五〇年六月一二日午後四時三〇分頃、長野県上水内郡○○町○○××番地株式会社○○石油事業部○○給油所前路上において、○司(当時三二年)が被告人らの普通乗用自動車を叩いたことに因縁をつけて金員を喝取しようと企て、右○司ならびに○巻○義(当時二二年)に対し、同人らのネクタイやシャツをつかむ等した上、「命の次に大事な車をどうしてくれるんだ。俺達は○○組の○○組の者だ。おとしまえをつけろ。後で連絡するから金を用意しておけ。」等とこもごも申し向けて金員を要求し、右要求に応じなければどのような危害を加えるかもしれない態度を示して同人らを畏怖させ、金員を喝取しようとしたが、警察に届け出られたため、その目的を遂げなかつたものである。

(証拠の標目)(編略)

(法令の適用)

被告人両名の判示第一の所為は刑法二四九条一項・六〇条に、同じく第三の所為は同法二四九条一項・二五〇条・六〇条に、被告人Oの判示第二の所為は刑法二四九条一項に、それぞれ該当するところ、被告人Oについては判示第一ないし第三の罪が、同D・Sについては判示第一、二の罪がそれぞれ同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文・一〇条により重い判示第一の罪の刑にそれぞれ法定の加重をした刑期の範囲内で、被告人両名を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用してそれぞれこの裁判の確定した日から二年間、右刑の執行を猶予し、訴訟費用につき刑事訴訟法一八一条一項本文を適用して被告人D・Sの負担とする。

(裁判官 福井欣也)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例